50代からのライフシフト

CEO秘書とか字幕翻訳家とかライターとかパラレルワークを実践中

プロフィール

はじめまして、マーゴです。
50代シングルです。

 

40代半ばにリーマンショックでリストラを経験。
再就職を果たしたものの、何があるか分からない世の中、会社だけに頼って生活を振り回されるのはもうイヤ。
人生も後半戦。「ありたい自分」でいるために、働き方や生き方を方向転換中です。

 

まずは、自己紹介をさせていただきます。

 

 

欧米かぶれの幼少期

宮城県仙台市生まれ。
幼少時代は体が弱く、完全なインドア派。
元気に走り回って外で遊んだ記憶はほぼ皆無。

 

家で過ごす時の楽しみは、海外ドラマと読書。
奥様は魔女」、「スパイ大作戦(映画「ミッション:インポッシブル」の原型」、「鬼警部アイアンサイド」etc…

母の影響もあり、完全に"欧米″にかぶれてました。
また、在宅時間が長かったせいか、早くに字が読めるようになり、小学生向けの本まで読んでいました。

 

海外ドラマと読書のおかげで、すっかりクールで生意気に。
“みんなと一緒に”行動するのが大キライで、遠足や運動会など団体行動が必須のイベント日が憂鬱という面倒くさい子供でした…。

 

 地に足がつかない生活が身についた小学生時代

父の仕事の都合で小学校は4回転校。
6年間で4回も転校すると、はっきり言って、もはや記憶にない…。

 

相変わらずクールな子供だったので、淡々と転校を受け入れていました。
むしろ、“移動”することが楽しかった。
学校ではいじめられることもなく、むしろ「転校生」の特権で目立つ存在でした。
団体行動はキライなままだったけど。

 

でも、相変わらず病弱でお家時間が長かった。
この頃見ていたのは、「宇宙大作戦(映画「スタートレック」の原型)」、「刑事コロンボ」、「刑事コジャック」。 
当時の憧れは、「チャーリーズ・エンジェル」のファラ・フォーセット・メジャース。 欧米かぶれも加速。
彼女は、髪の色も胸もお尻も足の長さも、当時の日本人女性が持ち得ないすべてを持っていました。

 

思えば、一か所に留まることが苦手な性格は、この頃に培われたのかも。

 

縦社会に適応性がないと気づいた中学生時代

中学進学と同時に、単身赴任の父を残し、母と兄と共に仙台へ戻ってきました。

 

中学校ではなぜかバスケ部に入部。
今考えても、どうして入部したのか理由がまったく思い出せない…。

 

新興住宅地に新設された中学校だったので、いわゆる体育会系とは異なり、上下関係もなく、のびのびとした自由な雰囲気の運動部でした。しかも、全員がよそから引っ越して来た新参者。
村社会、縦社会には対応できない私も平和な学校生活を過ごせました。

 

上下関係や厳しい校則がある学校では生きていけない、と本気で考え、自由な高校へ進学することを決意。
でも、それは県内随一の進学校

 

“頑張り屋”ではない私が、あれほど勉強したことはこの時が最初で最後かも。

 

燃えつき症候群? 高校・大学時代

がむしゃらに勉強した甲斐あって、無事に志望校へ入学。

 

制服もなければ化粧もパーマも自由。
厳しい上下関係や厳しい校則もなし。

 

校風はとても合っていたけれど、受験が終わったら何もやる気がなくなってしまいました。
部活動もやらず、勉強にも身が入らず、とにかく無気力な高校生活をおくっていました。

 

当然、成績も右肩下がり。

 

それでも東京の大学へ進学して一人暮らしをしたい一心で、一浪の末なんとか志望の大学に合格。晴れて東京生活をスタート。

 

団体行動が苦手なので、サークル活動もせずバイトに明け暮れる。

バイト仲間に恵まれ、ひととおり“花の女子大生”生活を経験するも、「自分がやりたいこと」は見つからず、なんとなく就職活動へ突入。

 

バブルって何? 男女雇用均等法の壁

私が就職活動をしたころは、まさにバブルの時代。
売り手市場と言われたけれど、四年制大学卒業の女子には、厳しい現実がありました。

 

前年に男女雇用均等法が制定されたものの浸透しているとはいえない状況。
四年制大学を卒業する女子大生へ門戸を開いている企業や部署は限られていました。

しかし、東京でひとり暮らしを続けるなら給与面で勝る“総合職”で就職しなければ、というジレンマ。

 

「自分がやりたいこと」が見えないまま臨んだ就職活動。
面接では「お茶くみできる?」「結婚したら仕事はやめる?」と、今では考えられない質問が。 

 

生まれてからこのかたピラミッド型社会とは無縁の自由な環境にばかりいた私が、こんな質問に笑顔で答えれるわけもない。

やりたいこともないし、お茶くみもイヤな一浪した四年制女子大生なんて、いくら売り手市場でも採用されるわけもなく全戦全敗。 

何社落ちたかわからないくらい落ちまくりました。バブル期なのに就活失敗。

内定を獲得したのは、3月の卒業式寸前…。

 

40代後半で会社員は向いてないと気づく

苦労して内定をもらったけれど、就職後は転職を繰り返しています。


どの会社も人間関係は恵まれたものの、とにかく何をやっても仕事がつまらなかった。
それと、毎日同じ時間に出勤して働くことや好きなときに休めないことが、すごくストレス。 飽きっぽい性格もあって、同じ会社に居続けられない。

 

唯一続けていたのは、英語の勉強。

家の事情もあり留学はできなかったけれど、「海外への憧れ」は依然あったので、地道にゆるーく英語を独学していました。

 

ある時、友人の紹介でアメリカ企業の日本事務所へ転職するチャンスが!
はっきり言ってこの時点での英語レベルはけっこうお粗末でしたが、ハッタリをかまして内定を獲得。
就職後は、まさに英語漬けだったので、無理やり英語力を鍛えられる。

 

しかし、2008年にリーマンショック
外資ベンチャーだった私の勤務先は、この影響をモロに受け、私もリストラの憂き目に。

この時、すでに40代。

苦労の末、再び外資系企業へ就職するものの、やはり仕事はつまらない。
「仕事」についてあらためて考えるようになりました。

 

そして、ようやく気づきました。

 

転職を繰り返していたのは、好きな仕事じゃなかったから。
そもそも会社勤めに向いていないのでは?

 

気づくの遅い…。

 

もっと早く気がつけばよかった、とつくづく思います。
でも、気がつかないよりマシ。

人生は100年時代に突入。 すでに両親が他界し、おひとり様の私。
残りの人生は、自分が価値がある、素晴らしい、楽しいと感じることに使いたいと思います。

 

ブログ開設の経緯

「会社勤めに向いてない」と気づいてからは、ライフシフトへ目を向けています。

 

まずは働き方。

私の「好きな仕事」は、今のところ字幕翻訳ですが、飽きっぽく、元来ずっと同じことをできないので、これ1本で生計を立てようとは思っていません。

会社勤めもゆるく続けています。

他にも投資やインターネットなど、複数の収入源を模索してリスクを分散したいしたいと思っています。

 

つまり、副業ではなく複業(パラレルワーク)という働き方。収入源を分散できるメリットもあるけれど、飽きっぽい私は「とことんやり遂げる」みたいな働き方が苦手なので、複数の仕事を適度にやるのが合っていると感じています。

 

そして、私のように夢中になれる何かや特別のスキルがなくても、そして何歳であっても、これからライフシフトしたいと思っている方へちょっとしたスパイスとなるような情報を経験をとおして配信していこうと思います。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

映画や旅行など、趣味のブログも運営しています。

「旅の話」 http://tabi-story.com/